シクラメン

 
   真綿色した シクラメンほど
   清(すが)しいものはない
   出逢いの時の 君のようです
   ためらいがちに かけた言葉に
   驚いたように ふりむく君に
   季節が頬をそめて 過ぎてゆきました

 昭和50年(1975)に小椋佳作詞作曲、布施明の歌う「シクラメンのかほり」が大ヒットした。しかし、この歌が出た頃に花屋で売られているシクラメンには香りが無かった。
 シクラメンはサクラソウ科シクラメン属の多年草で、地中海沿岸を原産とし20種ほどの野生種が知られている。この中でペルシクム種など野生種のシクラメンには香りのするものがある。この歌に刺激されたのか、この野生種の香りを園芸種に取り込む研究が行われ、早くも昭和51年に福岡県で芳香シクラメンが誕生した。その後、芳香シクラメンの数を増やしていった。

 冬から春、葉の間から太い花茎を伸ばし、その先に一個の大形の花を下向きに咲かせる。花弁は五枚で、開花して花柄の方に反り返ってねじれる。花の蕾は葉の付け根にでき、一枚の葉に一つの蕾が作られる。そのため葉の枚数と同じ数の花が咲く。
 明治23年(1890)に渡来し、東大の植物学者・大久保三郎助教授によってブタノマンジュウと命名された。これはイギリスの俗名サウ・ブレッド(sow bread:雌豚のパン)からの命名である。地中にある大きな球根を豚のパンに例えたものである。また牧野富太郎博士はある婦人がシクラメンの花を見て、「篝火のようね」というのを聞き、カガリビバナと命名した。現在シクラメンの和名はブタノマンジュウとカガリビバナが使われている。しかし一般的には和名はあまり使われることは無く、シクラメンの名で流通している。シクラメンの学名はリンネがつけ、ギリシャ語で渦巻きを意味する。花後に花茎がらせん状にねじれることに由来している。

 
           ビクトリア
 古代ギリシア・ローマ以来ヨーロッパでは、塊茎を薬用にする植物として知られていた。
シクラメンの塊茎にはシクラミンという成分が含まれている。人体に入ると,赤血球を破壊する有毒成分である。
 ギリシアの軍医ディオスコリデスは「薬物誌」に通経の薬として「妊婦がこれをまたぐと流産する」と記し、ローマのプリニウスは「博物誌」で、あらゆる蛇の毒に効き、魔除けになると記している。中世には耳の疾病の治療のほか、媚薬としても使われ、薬種店で塊茎が売られていた。
16世紀のイギリスの博物学者ウィリアム・ターナーは「シクラメンは薬効が強いので、妊娠している女性が服用しすぎると危険である」と警告している。

園芸的な栽培は16世紀に始まったが、盛んになっのは17世紀にイギリスに入ってから。園芸品種の母とも言うべきシクラメン・ペルシクムがギリシアのキプロス島からイギリスに入り、品種改良によって花色が増えた。1659年のトーマス・ハンマー卿の「庭の本」の中で、新しくイギリスに導入された珍しい植物として触れているので、それまでにイギリスに導入されたことが分かる。19世紀にはヨーロッパ各地で盛んに育種が行われ、大輪品種も作られるようになった。
1900年頃、中心部が赤く花弁の先が縮れてひだのようになるビクトリアが生まれ、100年以上も人気のある名花となった。